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Posted by TI-DA at

脳梗塞が幸いする

2007年03月05日

 3月4日より

 今思うと不思議な縁と云うしかありません。確かに体重は減りました。しかし身長が160センチしかないボクには標準体重には“ほどとうく”、あと15キロは体重を落とす必要があると思われました。しかしそれは夢のような話でした。73キロまで落とすのも並大抵の苦労ではありません。それ以上はとても無理でした。
 ところが今この日記を書いている現在の体重は58キロです。まさに奇跡としか云いようがありません。
 確かに脳梗塞は大変な病気です。再発の確率も非常に高い病気です。油断は出来ませんが何か天命みたいなことを感じざるを得ないのです。心臓の冠動脈が狭窄してニトロまで持たされていたことを考えると、脳梗塞が幸いしたという気がしてなりません。そうでなければ心筋梗塞で倒れていたような気がするのです。今現在少なくとも血液や尿の検査はすべて正常です。そう考えると脳梗塞で苦しんでいること事態、逆に気分が楽になるような思いがするのです。
 点滴治療中は食事は一切禁止です。その期間約2週間とちょっとだったと思います。それから重湯、お粥とゆっくり正常な食事に戻していきますが、所詮、病人食で3度の食事以外はなにも食べませんでした。以前のような食欲は全くないのです。それで急性期の病院を退院する時は67キロでした。4カ月間の安定期の病院を退院する頃は61キロになっていました。ちなみに現在は前述のとうり58キロです。

   続き次回へ  


Posted by ターミー at 23:29Comments(4)

心筋梗塞の恐怖

2007年03月04日

    3月3日より

「飲みながら食べる」これを長期間続けると当然肥満体になります。60才の還暦を迎える頃は体重が83キロにもなりました。
 それより10年前の50才の頃、人間ドックで高血圧と診断されて以来ずっと降圧剤を飲み続けていました。
脳梗塞になる2年前、人間ドッグで心電図に異常が認められるので心臓カテーテル検査を受けるようにと勧められて実行しました。その結果冠動脈の一部が狭窄していることが分かり、肥満、血圧、コレステロール及び血糖等のコントロールを徹底するように厳重注意を受けることになります。同時に万一に備えニトログリセリンを常時携帯を強制されます。
 それ以来、降圧剤の外に血液が凝固しないような薬や血栓が出来にくくなる薬等を服用することになります。
 そして早足でのウオーキング、ストレッチの運動療法や酒や食事を極端に制限して減量作戦に挑戦し実行することになります。これにより73キロまで減量に成功します。
 11才年上の兄が61才で心筋梗塞で倒れたこともあり(現在はピンピンしている)最善の注意を払いました。従って頭の中は心臓病で一杯でした。脳梗塞なんて全く眼中になかったのです。




 当時医師から渡されたメモ






次は次回へ  


Posted by ターミー at 19:10Comments(3)

肥満が血圧を上げる原因になる

2007年03月03日

  2月25日より

長期間の苦しい点滴による治療も,約2週間経った頃、医師がきて「もういいだろう、外しなさい」と看護師に命じて、ようやく点滴から解放されて地獄のような生活に終止符を打つことになります。ほっとした瞬間です。
 しかしこれからが本格的な闘病生活が始まります。まず手足の機能を回復させないといけません。
リハビリも専用の部屋で実施することになりますが、勿論車椅子で連れていかれます。まず理学療法士に抱きかかえられて歩行の練習となります。左手や腕は感触はありますが相変わらず全く動きません。
リハビリ専用の部屋では沢山の患者がいることに驚きました。多種多様な病気によるリハビリですが脳梗塞によるものが圧倒的に多いと聞きました。脳梗塞に掛かる人がいかに多いかを知ることになります。
 今までの自分の生活がいかに乱れていたかに気づきます。若いときはタバコや酒がが大好きだった。タバコは有害であることは知っていましたが吸ったり止めたりの繰り返しの生活でした。確か50才前後で止めたように記憶しております。
 しかし酒は止められなかった。「酒が酒を飲む」という諺があるとおり、若い時はとにかくよく飲みました。
しかし年を取るに従って「ほろ酔いの酒」が好きになります。酒は肴が大事で、肴無しには飲めませんでした。結局、これが肥満に繋がり血圧を上げる原因になったのです。




 オオタニワタリとトラノオ



  この先は次回に  


Posted by ターミー at 20:18Comments(0)

幻覚症状

2007年02月25日

2月24日より

 点滴は脳梗塞の治療中ということで2週間以上に亘りますので色々な症状が現れます。手足が麻痺して動かなくなったことによる将来に対する不安、24時間安静にして仰向けになって、じっとしている恐るべき忍耐感、、又、夜中眠らなければならない時に眠れなくなる等で精神状態が正常ではなくなります。夜眠れなくなるのは大変困りました。
 病棟は午後9時に消灯になります。中々寝付けなくなり、深夜になって看護師さんに睡眠薬を要求するようになります。
 ところがこの睡眠薬を服用した途端に不思議な現象が起こります。幻覚症状に悩まされるのです。現実にはあり得ない現象が目の前に現れます。人間が天井にしがみついてサワサワ音を立てながら何か作業しているのです。
 又、3本の点滴を受けている自分の姿なのでしょうか! 仰向けに寝ているのですが、何かに襲われて必死に逃げようとしますが中々体が動きません。
この時の状況を女房は「ベットをはい上がろうとして暴れている姿は人に見せられる光景ではなかった」と表現しています。
 話しは変わりますが女房は入院中、付添人が腰掛ける二人用の小さなソフアーで泊まりがけで看病していました。
 その他の幻覚症状は思い付きませんが色々あったように思います。思い付き次第どこかで触れたいと思います。



 自宅から眺める新都心方面 


      続きは次回へ
   


Posted by ターミー at 17:30Comments(2)

失意と苦しみの日々

2007年02月24日

2月23日より

点滴が始まり2,3日経つとマッサージをしてくれる人達が来ました。いわゆる理学療法士、作業療法士及び言語療法士と呼ばれ方々です。それぞれ足、手及び言語の機能を回復させることを目的とし、全員女性でした。
 言語療法士以外は長い付き合いとなります。
懸命のマッサージはベットで仰向けに寝ているボクには最高の癒しになり、彼女達が来るのが唯一の楽しみになってきます。失意と苦しみの日々が続く中、彼女達はほんとに天使みたいに感じました。
 このマッサージをリハビリ室に移動して本格的にリハビリを開始したのは確か2週間以上たって、点滴が終了した後だったと記憶しています。
 相変わらず手足は動きません。彼女達は感触があるかを頻繁に聞いていました。感触は問題なくあり指の区別もはっきり分かりました。言葉を話すのは当初から問題はありませんでしたので失語症ではなかったことが唯一の救いだったと思います。
 そのため見舞客とも十分話ができ「大丈夫ですよ」と言って帰ってもらったことを覚えています。




  愛用の血圧計


             続きは次回に   


Posted by ターミー at 19:06Comments(2)

手や足が腫れ上がる

2007年02月23日

2月21日より

 肥満と体質のためでしょうか腕の血管が見え難いために随分看護士を泣かせました。注射する度にその場所を探すのに一苦労のようで、それは同時にボク自身にも大変苦痛を与えました。
 このことが後で手や足が大きく腫れ上がる原因になります。点滴は二日で打つ場所変える必要があるらしく、3カ所なので打つところがなくなります。それでも点滴を止めるわけにはいきません。この段階からは男子の看護士が3名一組のチームで当たります。患者がどんなに痛がってもバンバン叩きながら打つ場所を探すのです。 血栓を溶解するためには少々のことでは点滴を止めるわけにはいかないのでしょう。必死に痛みに絶えました。
その結果手足がどんどん腫れ上がり、自分自身が見ても痛々しい症状になっていくのです。  続きを読む


Posted by ターミー at 17:24Comments(5)

左半身が動かなくなる

2007年02月21日

2月20日より続く

ところが翌朝、目が覚めたら、左半身が全く動きません。左手左足を動かそうとしても自分の意志ではどうすることもできません。前日医師から,これから悪くなるよと云われたことを思いだします。それから後の出来事は今ではほとんど思い出せないが断片的な記憶を辿りながら思い付くまま記載していきます。
 同時に3本の点滴を受けながらベットの上に仰向けになっている自分の姿がそのままずっと続きます。
寝返りは勿論できません。飲食物は全く与えられないので便意はありませんが点滴を受けているので尿意は頻繁に催します。女房が付き添ってくれていましたのでシビンに用を足します。彼女こ申し訳ないという気持ちで一杯でした。
 しかし仰向きに寝たまま、同じ姿勢を長期間継続することがいかに苦痛か筆舌に尽くせませんので、この行為がひとつの息抜きの時にもなってくるのです。
 それから二、三日経ってから性器に管みたいなものを装着してビニール袋に排尿することになる。しかし当初、性器の先端が妙に痛く違和感があり、それを取ってくれと看護士さんに叫んだことを覚えています。

     これから先は次回で  


Posted by ターミー at 23:12Comments(4)

点滴

2007年02月20日

2月17日に続く

 それから目まぐるしく動き出します、CT,MRI等次々と検査を受け、病院用ベットの上に仰向けに寝かされた自分の体が素早く走っていきます。天井しか見えません。
 検査が終わって家族が呼ばれたらしく「あった、あった」と言います。意味がよく理解できないので先生に説明してくれるよう伝えました。後で医師が来て「やっぱりあったよ」と言われるだけで、その時はあまり意味がよく理解できなかったことを覚えています。
 自分の部屋に落ち着いて、すぐ点滴が始まりました。後で解ったことだけど血栓溶解剤と栄養剤、血圧降下剤でした。この点滴がこのまま仰向けに寝たきり状態で24時間2週間以上続くことになります。まさに地獄の始まりでした。
 今まで地獄という言葉は聞きますが自分には全く無縁なことだと思っていました。
それでも入院当日の晩はいたって元気で子供や孫達に明るく笑いながら接したことを覚えていますし、身体も異常はなく皆が帰るとき孫と左手で握手もしました。

     次は次回に・・・  


Posted by ターミー at 22:40Comments(2)

スクラップブック

2007年02月19日

 新聞、雑誌等の重要な部分を切り抜いて、スクラップブックに貼り付ける。これは情報管理として
非常に重要だと思って実行していました。しかしこれは意外と手間が掛かり大変です。後は切り抜き
だけして適当に引き出しの中に保管して置くパターンになってしまいます。時間が経つにしたがって
膨大になり、後は管理不能な状態になって収拾が付かなくなってしまいます。
 そこで最近、デジカメを使って管理する方法を試みてみました。記事の重要な部分をデジカメで
写してこれをパソコンに保存します。これは結構便利であることが分かりました。パソコンに取り
込まれた情報は結構見やすく、いくらでも保存できて手間ヒマが掛かりません。こんな便利なことに
気が付いて、新しい発見をしたような気分になりました。
 今では新聞雑誌だけでなく、これまですぐ捨てていたチラシや新聞の広告まで自分が将来必要かも
と思うものまで取り込むようになりました。  


Posted by ターミー at 23:31Comments(2)

闘病生活の始まり

2007年02月17日

 2005年(平成17年 )10月4日その日は私にとって生涯忘れられない日でした。 いつものように朝起きてシャワーを浴び
髭を剃り朝食をとりましたが、なんとなくフラフラして眠くてしょうがありません。そのことを女房に話したかどうか記憶にありませ
んが多分話したかも知れません。そしてそのまま下の階にある事務所に行きました。お早うの挨拶して自分の席に付きました。
ところがどうも体調がおかしい、ふらつきはもちろん口元にも違和感があり、又やたらに眠たい、よっぽど自宅に戻り一寝入りしようか
と考えたことか。
 しばらくしてから、長女に話しかけたら「自覚症状があるんだったら病院に行ったほうがいいんじゃない」の一言で、とりあ
えず女房と一緒に病院に直行しました。
 病院に到着して受け付けで事情を話すと、すぐ脳神経外科の診察室に案内された。担当医師は「あなたは脳梗塞です。すぐ入院して下
さい」との宣告でした。晴天の霹靂とはこのことか、着の身着のまま入院となった。ここから私の闘病生活が始まります。

  これから先は思い出しながらその都度、気がむいた時に日記に記載していきたいと考えています。   


Posted by ターミー at 23:45Comments(4)

浪花節だよ人生は

2007年02月16日

 音楽配信があることを知りました。つまりインターネットから音楽をダウンロードして自分のPC
に取り込む。
 従来ボクはCDから直接PCに音楽を取り込んでいました。しかしこれだと興味のない曲が多すぎて
無駄になることがあり、値段も高く付きます。そこで音楽配信で好きな音楽を一曲づつダウンロード
できることが分かりました。そこで、まず最初にLDしたのが細川たかしの「浪花節だよ人生は」でした。
感激しました。これをMPIOにデバイスして寝ながらイヤホーンで聞くのです。これがボクの楽しみ
の一つであり、また、曲によっては眠り薬にもなります。
 そこでボクが学生時代から好きだった曲を探したところ、ありました。
ケテルビーの幻想曲「ペルシャの市場」です。しかし、眠り薬には琉球古典音楽「ウフ節」がいいよ
うです。
  


Posted by ターミー at 22:57Comments(3)

チョコレート

2007年02月14日

 今日はバレンタインデーであります。男性族は女性からチョコレートを貰う習慣になって
います。
 ボクもマイワイフと3人のマイドーターからチョコレートを戴きました。こんなにチョコレート
を食べて大丈夫かという不安があったのでチョコレートについて詳しく調べてみたくなりました。
 その結果、驚きました。

 チョコレートの成分は75%以上がココアです。ココアはいろんな健康促進効果があると
いうことが解りました。
 まず老化を促進する活性酸素を除去する抗酸化作用が優れているというのです。
それにより動脈硬化や脳卒中を防ぎ、さらにガンの予防効果も期待されるらしい。
 また自律神経を和らげ、血流を促進させ血圧の上昇を抑制する働きがあるというのです。
にわかに信じ難い話しですが最近の研究ではそうなっているらしいのです。
 「日本チョコレート・ココア協会の健康講座」より。  


Posted by ターミー at 22:08Comments(7)

シーパップ

2007年02月13日

 睡眠時無呼吸症候群とは聞いたことがあると思いますが、ボクもこの病気であると宣告され
たのは急性期の病院に入院後しばらくしてイビキが激しいという理由で検査を受ることになり、安定期の病院に移ってから知らされることになります。
 この日からシーパップを装着して寝ることになります。

 現在でも使用しています。大変そうに見えますが慣れると案外気になりません。この病気の特徴は
昼間やたらに眠くなることです。福知山線の列車事故の運転士もこの病気だったと云われています。
 気になる方は、是非この治療を受けることをお勧めします。これを装着した翌日から人生が変わります。頭が青空のようにスッキリするのです。



CPAP



  


Posted by ターミー at 21:58Comments(4)

携帯電話

2007年02月12日

 脳梗塞で入院して、安定期になって一番困るの自分の時間をなにもしないでタダ過ごすことでした。
そこで、女房に頼んでボクの携帯電話の取扱説明書を持ってきてもらって、それを読み始めたのです。もともと携帯電話はタダ通話するものだと思っていました。
 ひらがなから漢字転換、メモ機能、スケジュール、あげくにメール、インターネットと、いろんな機能
があることに気づきます。いま考えると、おかしな話しですが、その時は非常に感動したことをイマで
もハッキリ覚えています。

当時のボクの携帯電話
 それから猛特訓が始まります。100件以上あった電話名簿は全部カタカナで登録されていた
のをすべて漢字に変換しました。孫とメール交換ができるようになりました。
 
 婦長さんに随分褒められ、私にも教えてね!と言われるようになるのであります。
今、当時経験したような思いをデジカメやこのBlogで体験しているのです。  


Posted by ターミー at 21:16Comments(5)

順調に回復

2007年02月11日

  当面、体調は良好で、左手は自分の鼻を触ることができるように
なりました。全く動かなかったので、順調に回復しつつあると云えるでしょう。

車を運転するのが目標ですのでマダ
マダ努力が必要だと思います。
 
 なお、歩行は遠出以外の自宅等でははいらなくなりました。  


Posted by ターミー at 20:20Comments(4)

未来のコンピュータ

2007年02月10日



未来のコンピュータについて熱ぽっく語るMITの
石井教授。
 詳しくはこちら http://www.nhk.or.jp/professional/  


Posted by ターミー at 13:21Comments(5)

お花

2007年02月09日



携帯電話から投稿したものに記事を追加記入してみる。
 さて、コノ花は何の花でしょう?

ポピーの造花でした。  


Posted by ターミー at 15:02Comments(2)

花飾り

2007年02月09日

携帯からテストです
  


Posted by ターミー at 14:48Comments(0)

2月9日の記事

2007年02月09日

携帯が投稿テスト
  


Posted by ターミー at 14:43Comments(0)

挑戦!

2007年02月08日

午前中、南城市のアル会社の社長さんに会ってきました。
彼の話によれば、自分には後継者がいないし、会社の将来の見通しもよくないので
ゆくゆく会社を売却したいということだった。これに対するボクの話は次の通りでした。
 
 あなたはコノ会社を売ってその後どうするのですか?豪遊でもしたいのですか?
だいたい男はこの世に生をうけたら、働くようにプログラムされているのです、しかも
死ぬまですよ!女は子供を産み、育てるようになっていますが、男は違います、働くことに生き甲斐をみつけなければいけません。しかもあなたはマダマダ若い!
(約60歳) 後10年は社長として頑張って下さい。現在の会社の体力は非常に健康そのものです。
 ライバル会社が多いし、競争も激しいので油断はできませんが大丈夫、常に挑戦する意欲と
信念を持って下さい。  


Posted by ターミー at 15:02Comments(4)